月山鍛冶は、遠祖は鎌倉時代に興り、室町時代後期に全盛を迎え、一時的に衰退するも現代にまで継承されている流派である(二代月山貞一が昭和四十六年に人間国宝に認定された)。出羽国(現在の秋田県と山形県)の出羽三山の一つ「月山」に居住した刀工集団である。「鬼王丸」という伝説の祖先を起源とする一団であり、古くは奥州藤原氏の元で作刀したと伝わる。現実的には「軍勝」「近則」「久利」等の名工が現れ、彼らが鍛えた刀剣を「月山物」と称した。戦国時代には山形領主・最上義光が織田信長へ献上品として「月山物」を用いたことからもその品質の高さが窺われる。地鉄は綾杉肌となり、鍛えに感応して直刃調の刃文も自然に乱れるのを特色とする。 修験道との関係が深く、その綾杉肌は山伏を通じ、大和鍛冶や薩摩鍛冶にも影響を与え たとみられる。
代表作
特別保存刀剣 刀 銘 月山

日本刀が本物か偽物であるかの真贋(しんがん)に関して、正確に見極めるためには、鑑定する人の能力に頼る部分も存在します。

刀を正確に判断するには、刀を作った刀工に直接目の前で刀を見てもらうしかありません。そのため刀の判断に関しては、鑑定する人が「これは本物の名刀である」と言えば、本物の名刀であると判断することに、それが基準にもなります。

故に刀を鑑定する人は目利きの向上が求められており、一本でも多くの本物の名刀を見て、その詳細を記憶に留めることが重要になってきます。これは一朝一夕で身に着けられるものではなく、刀に関して幅広い知識が無ければ真作と偽作を見抜くことは出来ません。

前述でも述べた通り、名刀の真贋に関しては鑑定士が見て判断することになります。よって本当に名刀であるのかについて論議するのであれば、それは水掛け論に終わるのが当然です。従って刀屋から偽物を掴まされて、後でそれに気が付き刀屋を責めたとしても「自分はこれが正真正銘の本物だと確信している」と言われてしまえばそれまでとなります。

まとめと、刀剣の真贋は実物について詳細に比較研究などを行わない限り、納得のいく答えはでないということです。

日本刀というと、武士が刀を腰に差し込んで歩いている場面を想像するかもしれません。武士には確かに切り捨てる御免権はあったの、誰が彼を宣言せず斬っていたという物騒なものではありません。さらに理由があって斬った後でもすぐに届け出をして、正当な理由であったかどうかの確認が入りました。 もしも正当な理由がない場合には、財産の没収、場合日本刀を使って実際に人を斬るというのは、自分の命もかかっていると考え、相応の覚悟が必要だったそうです。守るための現在の拳銃の利用よりも、厳しい規制があったとも言われています。

現代では、長さが1尺(約30センチ)に満たない刀を短刀と呼んでいます。しかし、短刀と呼ばれるようになったのは、廃刀令以降の話だそうです。当時は短刀を、刺刀・小刀・腰刀、などと称していました。当時の戦と言えば、槍や弓矢などを使って、離れたところから攻撃するというのがメインの戦い方でした。とは言え、もし接近戦になってしまった場合には、遠距離武器の弓矢はもちろん、リーチのある槍では戦えませんでした。そこで活躍していたのが、刀身の短い短刀です。いざという時の護身用として重宝されていたそうです。しかし天下泰平の時代になるど、戦そのものがなくなりました。そのため実戦で使われていた短刀の需要は少なくなってしまいます。現存している江戸時代中期の短刀はかなり少ないですが、動乱の幕末に入ると需要が高まり増えたと言われています。

日本刀を売り出す際の査定額に左右するのが刀剣鑑定書の有無です。日本刀の鑑定には独自の鑑定法があり鑑定書にて評価をまとめておくことで種類が明確になり確実な鑑定を行うことが可能となります。刀剣鑑定書では保存刀剣・特別保存刀剣・重要刀剣・特別重要刀剣と4種類のランクがあります。買取ができるのは一番ランクが低い保存刀剣の要領を満たしていることが必須になります。多少の傷や損傷などがあっても美術品として鑑賞の価値が認められれば保存刀剣とみなされますが、刀工の銘や年代、流派などが特定できない場合は保存刀剣のランクに当てはめることはできません。鑑定作業の中で一番重視されるのは刀工の銘があるかどうかです。刀剣製作者のサインとも言える銘は、時代の名工であるほど価値が高くなります。刀身の長さや反りなどの外観部も鑑定の重要な材料となります。