戦国時代の武将にとって、日本刀は特別なものでした。武器として重宝するのはもちろんのこと、権威の象徴として大切にしましたし、美術品として飾り立てました。ですから刀を芸術品として神聖視することは自然な事だったのですが、だからといって実用性を全く顧みなかったわけではありません。例えば合戦の現場では、武士は防御のための甲冑で身を纏います。甲冑の上から刀で斬りつけたとしても、刃こぼれしたり、曲がったりするのが関の山でしょう。刀に勝ち目は無いように思われます。しかし現実は違います。西洋の甲冑であれば隙間がありませんが、日本の甲冑は全身を隈なく覆っているわけではありませんでした。特に激しく動いた時にかなり大きな隙間が生じるため、フェイスガードが跳ね上がるのを待ち構えていた敵が喉を一突きしたり、腕を振り上げた時に生まれる脇の隙間を斬りつけたりしたのです。この戦法において、日本刀は実用的でした。西洋の剣に比べて薄く、細長かったからです。とはいえ、熟達した技術を持つ者しか成功しなかったのは事実であり、合戦が繰り返される中で、日本刀一辺倒の戦い方を避けるようになりました。

 合戦の場では言わば有名無実化した日本刀でしたが、武士個人にとっては最後の切札でもありました。そのため切れ味が落ちないように、「寝刃合わせ」をするのが武士のたしなみでした。「寝刃合わせ」は綺麗に研ぐことではありません。実は刀は鋭利過ぎても切れません。上滑りして食いこまないためです。「寝刃合わせ」はむしろ刃を荒くさせ、摩擦係数を上げることを目途に行うのです。蛇行形になるように削ったり、砂の中に埋めて抜き差ししたりすることで、刃先は荒々しくなります。