骨喰藤四郎の来歴は、鎌倉時代建久年間に源頼朝が豊後大友氏の初代大友能直へ下賜。南北朝時代建武3年、足利尊氏が九州へ敗走した時、大友家当主大友氏時が家宝の「骨喰藤四郎」を忠誠の証として献上した。これにより足利将軍家累代の宝剣となった。永禄8年、13代将軍足利義輝が三好 三人衆と松永久秀によって暗殺された事件(永禄の変)によって「骨喰藤四郎」は松永久秀の所有になる。それを伝え聞いた大友宗麟が元の所有を理由に久秀から買い戻した。宗麟からその子義統へと伝承されたが、豊臣秀吉の求めに応じて献上された。慶長20年大坂夏の陣に巻き込まれたが無傷で発見された。発見された「骨喰藤四郎」は本阿弥光室を通じて二代将軍徳川秀忠に献上された。以後、徳川将軍家の所蔵となる。明暦の大火で焼刃となるも3代越前康継が焼直した。焼直された「骨喰藤四郎」は紀州徳川家に下げ渡された。明治2年に紀州徳川家から徳川宗家に返還された。現在は、京都東山の豊臣秀吉を祀る豊国神社に鎮座している。