豊臣秀吉の刀狩令。
これは農村の武装解除が目的だそうです。
戦国時代は半農半士というように招集されたら武器を持って駆けつける感じだったので、農村に武器があってもおかしくありません。
そんなところで誰かが扇動して一揆が起こったら、幕府転覆にもなりかねないわけです。
そんな彼らを恐れて、諸大名も刀狩りはやっていました。
それを全国規模で、厳しくやったのが豊臣秀吉です。自分自身のことを考えたら、出る杭は打っておいた方がいいと思ったのかもしれません。
そんな中、徳川の時代になっても許されて農村の中に武器を持っていた集落もあったそうです。忍者かもしれないし、隠密的な仕事をしていたのかもしれませんね。それでも結局、集落は消されてしまったそうです。
豊臣秀吉の場合は下剋上を恐れてのことなので、とにかく締め付けがすごかったようです。
そして没収した武器は、農機具にしたり、大仏をつくるための釘などにするとしたそうです。