鉄には本来切れ味が増すにつれて折れやすくなるという性質があり、折れなければ曲がりやすい。しかし日本刀はこうした鉄の難点を見事に解決して切れ味と耐久性を誇り、さらには美術的価値まで有するようになりました。この進化の秘密は一体どこにあるのでしょうか。武家政権が誕生して以降、自分や家族の命を守るため、優れた武器を入手できるかどうかは文字通り死活問題でした。刀工へのリクエストは創造へのプレッシャーとなり、点々と良作が生み出されましたが、この良作を偶然の出来に終わらせず、体系化したのが大きかったと思われます。様式が確立し、刀匠が教授するメソッド(基本的製造法)が成立したからです。

 刀匠は後輩の刀工から敬われると同時に、高い地位にある武士たちからも信頼されました。当時のエリート階級であった武士は美学的教養も持ち合わせていました。彼らは己の審美眼にかなうデザインを刀匠にリクエストし、刀匠もまたそれに応えようと研鑽を重ねました。その結果が熱処理によって刀身に模様を浮かび上がらせる刃文であり、彫刻や象嵌が散りばめられた刀装と相俟って、日本刀を一大芸術品にまで高めることになったのです。

 こうした日本刀には海外でも称えられる伝説が存在します。織田信長が黒田官兵衛に与えた名刀は、信長に無礼を働いた茶坊主を成敗したのですが、間に塞がった棚もろとも押し切ったと伝えられています。また本田平八郎忠勝が愛用した「蜻蛉切」は、蜻蛉がその刃先に止まっただけで切断されるほどの切れ味だったそうです。さらに伝説は近代のものまで存在し、第一次世界大戦中にドイツは日本刀の成分分析を試み、その結果を大砲製造に利用したというのです。