切捨御免の精神
日本刀というと、武士が刀を腰に差し込んで歩いている場面を想像するかもしれません。武士には確かに切り捨てる御免権はあったの、誰が彼を宣言せず斬っていたという物騒なものではありません。さらに理由があって斬った後でもすぐに届け出をして、正当な理由であったかどうかの確認が入りました。 もしも正当な理由がない場合には、財産の没収、場合日本刀を使って実際に人を斬るというのは、自分の命もかかっていると考え、相応の覚悟が必要だったそうです。守るための現在の拳銃の利用よりも、厳しい規制があったとも言われています。
刀剣鑑定書の種類と鑑定方法
日本刀を売り出す際の査定額に左右するのが刀剣鑑定書の有無です。日本刀の鑑定には独自の鑑定法があり鑑定書にて評価をまとめておくことで種類が明確になり確実な鑑定を行うことが可能となります。刀剣鑑定書では保存刀剣・特別保存刀剣・重要刀剣・特別重要刀剣と4種類のランクがあります。買取ができるのは一番ランクが低い保存刀剣の要領を満たしていることが必須になります。多少の傷や損傷などがあっても美術品として鑑賞の価値が認められれば保存刀剣とみなされますが、刀工の銘や年代、流派などが特定できない場合は保存刀剣のランクに当てはめることはできません。鑑定作業の中で一番重視されるのは刀工の銘があるかどうかです。刀剣製作者のサインとも言える銘は、時代の名工であるほど価値が高くなります。刀身の長さや反りなどの外観部も鑑定の重要な材料となります。 |
薙刀の魅力
薙刀って、聞いたことあるけれどどういうものかわからないという方はたくさんいます。この文章では、薙刀の魅力について解説していきます。 薙刀は、現代においては主に女性が習う武道というイメージが強いですが、南北朝時代においては、戦乱の世において、普通の刀と同じく主要武器として好まれて使われた武器でした。 薙刀は実は日本刀の一種で、長い柄、広い幅の刀身から、薙いで斬る刀として有名です。もともとは長刀と書かれていましたが、別のものを長刀と書くようになったため、薙刀と書かれるようになりました。 個人戦では強いとされていた薙刀ですが、集団戦になると味方を傷つける可能性があるため、薙刀のリーチの長さをうまく活用できなくなります。また、同じような長さの武器に槍がありますが、槍の方が薙刀よりも多彩な戦闘ができるため、薙刀の立場は徐々に槍に奪われていきました。 しかし、武道として、現代にも受け継がれ、好まれています。 |
薙刀とは
薙刀とは、平安時代に作られ始めた持ち手が長いことが特徴的な武器です。現代でも名を知られた武器であり、女性の武道として一般的です。南北朝時代においては、そのリーチの長さと、突くや打つなど、斬る以外の攻撃を取れる、戦闘方法の多彩さから、人気な武器としてよく使われていました。 刃の長さは時代によって違いますが、よく使われた南北朝時代では、大薙刀と小薙刀があり、大薙刀は非常に大きいもので柄の長さが150cmほど、刃の長さが190cmほど、合計333cmの薙刀が作られたと言われています。また、小薙刀は、柄の長さが90cmほど、刃の長さが82cmほどのものが作られたと言われています。もちろん、それぞれ戦場において、人気武器として活躍しました。 薙刀は、菖蒲造という刀身を長い柄につけたのが発祥とされており、それから反りがつけられたりして、本格的に戦闘で使われるようになったのです。 |
古今伝授行平の由来
「古今伝授行平」は平安時代末から鎌倉時代初めの豊後国の刀匠・行平の作の太刀である。慶長5年の関ヶ原の戦のおり、東軍側の細川幽斎が籠った丹後田辺城を西軍側が攻めた(田辺城の戦い)。その頃、細川幽斎は古今伝授のただ一人の継承者で、幽斎の死は古今伝授の断絶を意味した。断絶を危惧した八条宮智仁親王は、細川幽斎に田辺城開城を求めた。幽斎は拒絶した。更には後陽成天皇が、三条西実条、中院通勝、烏丸光広等を勅使として開城を命じた。幽斎も勅命には抗じ難く、寄せ手と講和開城に至った。講和取り成しの礼として烏丸光広に古今伝授を行い、太刀を贈ったといわれている。このことから「古今伝授行平」と称されるようになったそうである。