「大般若長光」は、鎌倉時代後半の刀匠備前長船長光の手による傑作といえる。長光は、長船派の創始者・光忠の子である。「大般若長光」の名の由来は、室町時代に銭六百貫文の高値で売買された。銭六百貫文とは、現代の貨幣価値でいえば約六億円に相当する。その六百貫と「大般若波羅蜜多経」が全巻で六百巻であることにちなんで「大般若長光」と称されるようになった。来歴はというと、最初の所有者は、足利幕府第13将軍足利義輝である。足利義輝が三好三人衆と松永久秀の手によって暗殺された事件(永禄の変)の後は、三好三人衆の一人、三好政康が手に入れた。三好三人衆も織田信長との覇権争いに敗れてしまい、「大般若長光」は織田信長の手に渡った。