「切刃貞宗」は別名「切羽貞宗」ともいう。貞宗は、鎌倉末期、相模国の刀匠。一説には、岡崎五郎入道正宗の子、もしくは、養子といわれている。「切刃貞宗」は、「享保名物帳 焼失之部 所載」の脇差で、「大坂御物」として記載がある。もとは明智光秀の所有であったが、女婿細川忠興の手に渡り、豊臣秀吉に献上された。大坂城内では一之箱に収蔵されていたほどの逸品である。豊臣秀吉の没後は、豊臣秀頼に継承された。慶長20年、大坂夏の陣で焼き刃となったが、徳川将軍家の所有となってのちに徳川家康の命で下坂康継が再刃した。徳川二代将軍・徳川秀忠の遺品分けとして寛永9年正月25日、水戸徳川家初代徳川頼房に贈られた。徳川頼房は、二代藩主徳川光圀ではなく、長男で兄の讃岐高松藩主松平頼重に与えた。