江戸時代中期となると武士たちは、大小二本の刀を帯刀するようになります。その頃になると「短刀」は、ほとんどを作られなくなり、その代わり「脇差」が数多く作られるようになりました。戦国時代のように日本刀が実戦で使われることは、ほぼなくなった時代でもあります。「打刀」は、武器ではなく武士たちが剣術を学ぶための道具として出回るのようになります。両手で刀支えるスタイルの「打刀」が流行となりますが、日本刀の曲線美でもある「反り」が少ないことが「太刀」の特徴ともなります。時代とともに刀工の須姿の影が薄くなりはじめた頃、1657年、江戸の街を襲った振袖火事では、江戸城の蔵にあったとされる古い名刀の数々が、大量に焼けてしまったという大事件が起きました。振袖火事は、丸山火事などとも呼ばれ江戸の大部分を焼き野原にした大火災であったようです。この大火災を機に、江戸の街は大変革が行われるようですが、江戸城の天守閣を失うとともに江戸城に収められていた大量の刀剣を失うといった大事件でもありました。